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2011年の「AERA」の「いま会いたい韓流スター」の
ヒョンジュンのインタビュー記事を事あるごとに読み返しています。 歌手になったきっかけは、ソテジさんがとても好きで歌手になろうと思ったとありました。 お父さんがソテジを聞いていた事がきっかけのようです。 ヒョンジュンの好きなソテジってどんな人? 引用文載せてみました。 韓国歌謡界の革命児ことソテジ。1989年、高校2年生の時、ロックバンド「シナウィ」のべーシストとしてデビュー。その後、1992年、ソテジを中心に、バックダンサーとして活動していたイ・ジュノ、ヤン・ヒョンソクの3人で「ソテジワ アイドゥル」を結成。1stアルバム『Seotaiji’N Boys』をリリース、タイトルトラック「ナンアラヨ(僕は知っている)」でデビューする。 今や当たり前のようになっている韓国語のラップであるが、その歴史は彼まで辿ることができる。ソテジは、韓国語ラップを大胆に導入し、韓国史上初のミリオンセラーを記録、当時バラード主体だった音楽界をダンス音楽中心に塗り替えてしまった。また、ステージでの姿はデイバッグを背負ったり、スカートを身につけたりと、10代の若者はその既成概念を破っていく姿に共鳴。自分たちの意見の代弁者として、ファッションリーダーとして、彼はカリスマ性を獲得していく。 1993年、2ndアルバム『SeoTaiji and Boys�』をリリース。彼の音楽はロックのみにとどまらず、ヒップホップ、テクノを融合させ、さらには、タイトルトラック「ハヨガ(何如歌)」では韓国伝統楽器をフィーチャーと、すべてが当時は革新的なことばかりであった。1994年にリリースされた3rdアルバム『SeoTaiji and Boys�』では、持ち前のロック魂がうずき、ハード化する。内容的には統一問題や学校批判を取り上げて世間に大きな衝撃を与える。1995年、4thアルバム『SeoTaiji and Boys�』をリリース、爆発的な人気を得る。1996年1月、突然引退を宣言。ソテジは米国に去り、他の2人はプロデューサーとして再出発を果たす。 衝撃の引退後、渡米し沈黙を守っていたソテジだが、1998年、ソロデビューアルバム『SEO TAI JI』を発表。音楽的には米国のラウドロックの雰囲気を感じるが、そのメッセージ性は極めて強く、空前の不況下でミリオンセラーを達成した。再び沈黙の後、2000年に帰国し、ソロ2ndアルバム『ウルトラメニヤ(ウルトラマンだ)』で復帰。米国の影響を受けたハードコア・ミクスチャー・サウンドでコアなファンを掴んだ。 2001年には東京・大阪で「サマーソニック」出演、マキシシングル発売など、日本での活動にも意欲を見せる。2002年秋には韓国初の国際ロックフェスティバル「ETPfest」を主催。韓日米のアーティストらと共演した。 2004年、ソロ3rd、通算7枚目のアルバム『SEOTAIJI 7TH ISSUE』をリリース。音楽で痛みを表現するといった感性的な面を強く打ち出し、メロディを強調したアルバムとなっている。韓国において彼の人気はいまだ絶大で、音楽のみならず言動のすべてが注目されている。 2011年『黄金漁場-ヒザ打ち導師』でヒョンジュンは、中学校時代、『ウルトラマンよ』を歌ったソ・テジにほれ込み、音楽を始めることになってそれと同時に勉強からもますます遠ざかって行ったとコメントしてます。 「最初から勉強をしなかった。ソ・テジもしなかったから。『教室イデア』を聞きながら、勉強が全てではないということを見せるんだと思った。勉強はソ・テジ音楽に対する冒とくだと考えたくらい、反抗心がいっぱいだった」と回想してますね。 ヒョンジュンの人生に大きな影響を与えた人です。 日本のウルトラマンが出てきて驚きました! 懐かしいやら、なんやら。 ヒョンジュンも韓国の普通のティーンエイジャーのように ソテジが好きだったんだね。 韓国の音楽の教科書に載った最初で最後の人だなんて…… スゴイ人です! うわぁ〜!遠い昔すぎて記憶を呼び起こせないけれど 確かに、あの時期って親であったり、大人に反抗していました。 私も……友だちとジョンレノンやオノヨーコの事 世界の平和の事熱く、語っていたもん。 ジョンレノンかぁ……。懐かしい! 純粋にロックが好きだったあの頃……。 T-REXにツェッペリン、DEEPPURPLE、キンクス、ジェフベック それからポルナレフも好きでした〜! Yesのジョンアンダーソンの歌声にはまり、PINKFLOYDの難解な歌詞。 ああ、そしてあのトッドラングレンのコンサートにも行きました。 私が幸せだったのは、リアルタイムに歴史に残るバンドやアーティストの音楽を聴けた事!なんて贅沢な時代だったんだろう! 私は、もろブリテッシュロックでした! 夢は「MUSIC LIFE」の編集者になる事。 英語勉強しましたよ〜。イギリスに行ってインタビューしたかったから。 すみません。一人で盛り上がりました。 韓国の学歴社会は日本の比にならないとよく聞くね。 韓国のセンター試験は、その後の人生を決める大切な試験。 今は、有名大学出ても、就職できなくて就職浪人が多いらしい。 ソテジさんて表現はストイックで前衛的です。とても知的な印象も受けました。 木を見る人ではなく、常に俯瞰から森を見て表現している人。 一環してブレない表現、そして表現の根底には人間への「温かい愛」を感じました。 B'zとはちがうけれど、ヒョンジュンが10代の頃好きだった音楽を 知る事ができて、また世界が広がりました。 ヒョンジュンありがとう! でも、お母さんすごく心配だっただろうね。 優等生だった息子が突然ロックに目覚めて……。 大学行くのが常識の社会で高校中退なんて。 私だったらきっとうつのノイローゼになってると思う。 お母さんの気持ちにも寄り添えるようになったヒョンジュン。 成長して大人になったね。そんな姿が親にとって一番嬉しい事です。 ヒョンジュンと同じ事務所のイジアの名前がこんなところから でてくるなんて、意外でした。 「大王四神記」で抜擢されたころ、初々しかったよね。 グンちゃんの「ベートーベンウィルス」、今の「アテナ」にも出ている 売れっ子だよね。 まさかソテジと結婚していて、離婚調停しているなんて。 世の中、狭いです。 名刺作ったり、ナムギルの除隊祝いのカード作ったり、 ヒョンジュンのファンレターの文面考えなきゃ。 借りてきた2008年のドリコンも、 見逃した「永遠の僕たち」も見なきゃいけない!家事労働も! 忙しいのに、またブログ作りに励んじゃった! 明日は、朝6時から、日曜日なのに朝6時から、 町内の草取りなんで、寝ます。
by uparupau
| 2012-06-23 22:13
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