メモ帳
カテゴリ
以前の記事
2018年 11月 2018年 10月 2018年 03月 2017年 12月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 08月 2016年 06月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 最新の記事
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
外部リンク
記事ランキング
ブログジャンル
|
別の世界で起きた事のように 感じられます。 出棺の動画を見ても COEXのファンのたくさんの花束や付箋を見ても 実感がないのです。 毎日毎日、SHINeeの曲を朝から夜まで聴いて DVDを見て…‥ そうしていないといられない 先日のMステにBTSが出るというので 娘と見ていたんですが、 最後の嵐の5人がスーツ姿で歌っている姿を見て Your NumberのSHINeeを思い出してしまい もう5人で歌う姿が見れないんだと 思ったら涙が止まらなくなりました 神様は 乗り越えられない試練は 与えないと言うけれど そんなの嘘‥ですね。 「ずっと辛かった」 この言葉が心に突き刺さります。 まだSHINeeのファンになって日が浅い ウパルンでさえ この喪失感なんですから 昔からのファンの心中は想像できません。 ただジョンヒョンの遺書を公開してくれた事は 憶測や誹謗中傷を避ける事ができ 個人的にはよかったと思っています。 ジョンヒョンという人を何も知りませんでした。 表層的な部分でしか見ていませんでした そう気づかせてくれたインスタとブログ記事がありました。 SHINeeのライブで バックバンド「シャバン」のベースとして 演奏してくれた鈴木渉さんのインスタより 2016年のドーム公演からサポートさせてもらっているSHINee。 個性豊かな5人のメンバーは若く才能に溢れ、 途方もない努力によってその道程をくぐり抜けて来たことは想像に難くない、 隣国、韓国のアーティストです。 僕にとってのアーティスト・サポートのツアーというのは、 音楽をステージ上に再現することに留まらず、 その時々のアーティストの思いやその表現に如何にシンクロできるかに注力し、 愛情をもってその背中に意識を集中することを心掛けています。 そうして接してきた中で感じてきた彼の姿があります。 ジョンヒョンくんは、人一倍感受性が強く、 全身全霊で振り絞るようにそれを音楽とパフォーマンスに昇華させている、 常に戦いの中に身を置いているような印象を持っていました。 それが故に、彼のステージングは儚さも内包しながら一際輝いていて、 絶対的な華と魅力に溢れていました。 僕にはそんな彼のアーティストとしての在り方が とても美しいものに映っていました。 彼は自らが望む形で命を絶ってしまった今、 生前に懸命にアウトプットしてきた素晴らしい歌声とパフォーマンスの数々は、 今を生きる僕らの記憶の中と、そして作品の中に残されました。 音楽の祝福によって彼の面影を見いだせるのが、 残された者にとってせめてもの救いです。 アーティストとしてかっこいい背中を何度も見せてくれてありがとう。 あなたの後ろでベースを弾かせてもらえた経験は宝です。 「ベース好きです。僕もベースを弾いていたんです」と 声を掛けてくれた時のシャイな笑顔を忘れません。 どうか、安息の地で笑顔でおられますように。 ジョンヒョンが遺して行った光を記憶して 慰め(癒し)の曲をたくさん歌った歌手ジョンヒョンは 歌の外の世界に接するときでも終始一貫していた。 セウォル号惨事の犠牲者の中で自身を誕生日(4月8日)が同じだった 故キムゴンウ、パクジユン学生の名前を呼んで、 ファンたちにアンサン合同焼香所へメッセージ(ムンチャ)を送るようにお願いした。 世界をあらん限り繊細に愛した人 2017年12月18日、歌手ジョンヒョンが自身の決定で命を終えた直後、 世間はその決定の意味を当てずっぽうに推測する人々の言葉でいっぱいだった。 彼が書き残した歌詞たちに兆候があったと主張する人、 彼と所属チームであるシャイニにかかってしまった様々な批判のせいで 彼が傷を負ったと恨む相手を探す人、 彼が生前遺した最後の記録された閉回路テレビジョンカメラ(*どうやらCCTVのこと?)の 画面を単独だと言って報道する人たちの洪水の中で、 私はジョンヒョンが歌手イハイのために作った曲「ため息」(2016)のサビが思い浮かんだ。 「誰かのため息、その重い息をわたしがどうやって 汲み取ることができるでしょうか。 あなたのため息、その深さを汲み取ることはできないだろうけれど、 大丈夫だよ、わたしが抱きしめてあげる。」 ジョンヒョンは誰かを慰めるときでさえ倫理を悩む人だった。 「ため息」のサビで、語り手はうかつに 「わたしがあなたの苦痛が分かる」というふうには言わない。 その代わり、語り手は自分が恐れ多くも汲み取ることができない 相手の苦痛を抱きしめるつもりだと言う。 私たちは多くの場合、すぐそばにいる人の苦痛さえ全く理解することができない。 ましてや、そばにいない人の苦痛を私たちが当てずっぽうに 「その気持ち分かるよ」と言える方法はないだろう。 言うことができないことに対して、私たちは沈黙しなければならない。 それゆえに、私はジョンヒョンの暗闇をむやみに推測するのではなく、 ジョンヒョンが人々に残して行った光を覚えておきたい。 「あなたのため息、理解できないだろうけれど 大丈夫だよ。わたしが抱きしめてあげる」 歌で大衆を癒すときさえ 「倫理」に悩んだ暖かい音楽人 歌の「メッセージ」を悩んだボーカリスト シンガーソングライターとしての魅力が浮き彫りになったことで しばしば看過されたが、ボーカリストの顔はジョンヒョンを 定義するキーワードの内のひとつだった。 鋭く繊細な高音を持つジョンヒョンは、自身の声の長短にうまく対処する方法を知っていた。 ジョンヒョンは声を薄く力強く出し、曲に清涼感を足して、 感覚的なアプローチが必要なミドルテンポのダンス曲では呼吸をたっぷり使って、 聴く人が彼の声の波を感じることができるようにした。 そのすべてのボーカルテクニックがひとつの曲で繰り広げられた 「NEON」(2015)のような曲を聴いていると、 ある唱法から別の唱法へと移る複雑な継ぎ目の間を きらびやかに歌声で覆うジョンヒョンの技量を実感することができる。 聴く人を慰めるバラードで彼が聞かせてくれる音色はまた異なる。 ゆたかな呼吸を使うと同時に繊細なビブラートを入れて 音節の中に層を出すジョンヒョンの声は、 聴く人に歌詞を長く味わわせる力を持っていた。 みながいっしょに楽しく走って遊んで聴くことができる 魅惑的なファンタジーの世界へ、 疲れた体を引きずって家に帰って来て癒し(慰め)を求める人に聴かせる話の世界へ。 ジョンヒョンが収めた音楽的達成は、際立ったボーカリストたちが集まって、 毎回異なるコンセプトを具現化したシャイニというチームの中でも とびきりに素晴らしいボーカリストだったことで可能だった。 曲ごとに多様な唱法を駆使して変身したことは、 聴く人に歌のメッセージを正確に伝えるための努力だったようだ。 そしてジョンヒョンが書き歌った歌のメッセージは、 彼が文化放送深夜ラジオ「青い夜、ジョンヒョンです」を進行させはじめた 2014年頃からさらに広い世界を抱き始めた。 遅い夜に店の門を閉め、疲労でひと息つきはじめながら ラジオを聴くリスナーの事情、会社で、学校で、 こうこうである事たちがあったと吐露する事情、 1日をいっぱいいっぱいで過ごした私の中に沈む頃に浮かんだ想いたちを 書いて送った事情たちの中に、 ジョンヒョンは同時代を生きている人たちが経験する日常的な不安と悩み、 やりがいと歓喜に共感する機会を得た。 「誰かがそう言ったんですね。人生にはどんでん返しはなくて、 いつものことだけでいっぱいになっている。 だから、変わらず今日1日が、大変で特別な事件がなかったなら、それが正常です。 いまとてもすばらしく(上手に)暮らしていらっしゃいます。 芸能人が職業であるぼくも特別なことはなく、この場所を守っています。 変わらず青い夜を訪ねてくださるみなさんと共にです。」 このようなオープニングコメントは、 1日1日を耐えるリスナーたちの人生に、 一歩さらに近づいて癒そう(慰めよう)とする真心がなければ言うことができないものだった。 ラジオのリスナーたちの事情を基に歌詞を書いて 歌をつけた作品集 「Story Op.1」(2015)で、 彼が見せてくれた変化は驚くべきものだった。 久しぶりに会った友達と ふだんの気持ちを晴らす内容を閉じ込めた歌「02:34」で、 ジョンヒョンはそれまで聞かせてくれたことのない、 具体的で日常的な話を聞かせてくれた。 「まだ家に帰らないで。ぼくたちを待っているじゃないか、大学路。 出席するように行った大明通り前。塀を超えて入って行った遊び場 学校の屋上。 どこから行こうか?どう、ツアーする?洛山からずっと行ってじっくり夜景見物する?」 タイトル曲「1日の終わり(End of a day)」で さらに単純な癒し(慰め)の言葉ではなく、すぐにでも肌に届くような手触りで、 聴く人を慰めいたわる。 「きみにもぼくの肩が、にぶいぼくの両腕が、 疲れたきみの1日の終わりに暖かい癒しになるように。」 ラジオDJになったあとでもジョンヒョンは変わらず 「あの空をきれいにおりたたむ、この海を瓶に詰めた時間も、楽に歩く夢を叶えるぼくは」 (シャイニ「View」2015)のように、 共感覚的なファンタジーをとても上手く盛り込んだが、 同時に、相手にもう少し具体的に伝えるためにこのような歌詞も書くことができる人になった。 「きみの話を少ししてよ。いつもぼくだけ話してるじゃん。 おおげさなことじゃなくていい。 平凡で小さな どこそこのおいしいお店の感想とか、 そんなことでもいい そういうのが特別なんじゃんか」(「U&I」2015) 大衆の批判に通例的な謝罪で応ずる 芸能界の慣習を超えて、近づいて対話 芸能人ではなくひとりの人間として 世の中に本気で向かい合った青年 歌の中で相手へできる限り具体的に近づいて行ったジョンヒョンの態度は、 世の中に向き合うときも終始一貫していた。 ジョンヒョンは自身の誕生日である4月8日、 セウォル号惨事の犠牲者の中に自身と誕生日が同じだった 故キムゴンウ、バクジユン学生の名前を呼んで、 ファンたちにアンサン合同焼香所へメッセージ(ムンチャ)を送るようにお願いした。 簡単で手っ取り早い慰めの代わりに、 具体的な事案を挙げて話をして、できる限り正確に慰めたいと考えた人。 自身の過ちをすぐに捉えたときも同じだった。 放送途中に彼が使った「ミューズ」という単語が 女性を対象化するとした人々の批判にも、 ジョンヒョンは単純に「考えが及ばず失言した」というふうに、 遠まわしに謝罪して状況を整理したり、フィードバックなしに沈黙するということはしなかった。 見方によってはリスクを最小限にすることができる典型的な対処法の代わりに、 ジョンヒョンは自身がどこでどのような部分を誤ったのかという問題を、 提起した人々へひとつひとつ聞いてみて、教えを請う姿勢を取った。 安全な道を歩く代わりに、どのような問題だったのかを正確に把握しようと努力した人。 ジョンヒョンはいつも世の中に向き合うとき、いい加減にごまかすことはなく、 心を尽くして誠意を見せ、人々はそのような彼の真心を知ったことで、 ジョンヒョンの声を聴くために彼の歌を聴いて、夜になればラジオをつけた。 彼が世に遺して行った愛とともしび 相手に具体的に近づいて行こうとする真心は、 人々にもっと具体的に理解されたいという心の鏡像だったのだろう。 「ぼくが人間として見えれば良かったのにということも考えました。 人としてという意味です。芸能人はひとりの人間というよりは、 あるキャラクターとして表現され理解される場合がずっと多いじゃないですか。 少しでもぼくは人間としても生きているんだという、 ぼくなりの返事みたいなもの?そうやってひとり雄弁に語っているみたいだなと思います。」 (『ESQUIRE KOREA』「青い夜、ジョンヒョンです」2017年5月号、シンキジュ、チョンウソン記者) ラジオDJ下車(降板)を前にして、『ESQUIRE KOREA』と行ったインタビューで、 ジョンヒョンは危険負担を抱えながらも、 いつもまっすぐに近づいて行ったことは、彼自身が言った、 人間として生きているということを言うための危険だと説明した。 そして私たちは、彼がそうあったからこそジョンヒョンを愛した。 あらん限りの自分自身の真心を言葉にして、 相手を慰めるために最善を尽くすことで 完全にひとりの人として生きることを願っていたからこそ。 残された私たちにすることができる宿題があるとすれば、 彼が世の中に向き合った繊細でありながら具体的に愛のともしびを、 私たちの人生の中に変わらず生き返らせ、つなげていくことだと思う。 その宿題は、これからは、私たちがずっと取り組んでいきます。 おつかれさまでした、ジョンヒョンさん。 ありきたりでなく人の心に寄り添えるジョンヒョンは きっと見守ってくれている ご家族の事もSHINeeのメンバーの事も そしてファンの事も… テレビを見ていても どうしてみんな生きてるのに ジョンヒョンだけがこの世にいないのか 悔しいような悲しいような寂しい気持ちです。 インタビューで「10年後は?」の問いに オニュくんやミノは、いいお父さんになっているという答えに テミンはダンス、 ジョンヒョンは音楽に関わる仕事を続けていたいと 言っていた事を思い出しました。 アイドルでみんなとわちゃわちゃしているジョンヒョンは 冷静に音楽というものに取り組んでいたんですね 日本のJ-POPの世界は、10年、20年と息の長いアーティストも たくさんいるよ。 タラレバになるけれど 暮れの音楽番組を見ていると ジョンヒョンも日本に生まれていたら そこまで自分を追い詰めずに済んだんじゃないか そんな風にも思います。 安らかに眠って下さいなんて 言えないです。 それを言ったら ジョンヒョンが死んだ事になってしまう。 未だに信じたくない自分がいます。
by uparupau
| 2017-12-31 23:02
| SHINee
|
ファン申請 |
||